研究プロフィール
- 現職: 博士課程2年(2025年度現在)
- 博士課程時代の分野: 日本近代文学
- 博士課程時代の研究テーマ: 昭和20年代の坂口安吾作品における農民・農村表象に関する研究
博士課程の1日の研究スケジュール
定まったスケジュールはないです。人文系の研究の多く(少なくとも僕の観測範囲。共同研究などは除く。)は、チーム戦ではなく個人プレーなので、締め切りと必ず出席しなければならない週1のゼミ以外には時間には縛られていません。以上に加えて、僕の専門分野は本や資料を読んで考えるのが仕事!ということもあり、普段は書斎と化した自室で本を読んで考えています(高尚に見えますが、好きな時間に起きて好きな時間に研究をしているだけです)。家では、自分の研究以外に、非常勤先で使うレジュメの作成や採点をしたり、後輩の論文・資料・申請書を見たり、などもしています。ただ、研究室のコピー機や大学図書館を使いたいとき、事務手続きのために週に2~3日は大学に行きます。論文や学会発表などの締め切り前には徹夜に近い生活を送っています。イメージが湧くようで湧かないですね。
研究生活で使っているツール
- 研究系ツール: word、各種参考資料
- 仕事系ツール: 各種参考資料
※上記のように、僕の専門分野は本や資料を読み込んで考えるのが重要なので、必然的にこうなる。また生成AIは基本的に使いません。本や論文を参照した方が正確だと思うからです。論文や文献もデジタルではなく紙媒体で整理・保管しています。その方が記憶に残るし、移動中にも読めて便利だからです。
研究環境
- 指導教員数: 1人 (所属する日本文学・日本語史学研究室には教員は9人。これは日本のいわゆる旧帝国大学系だと比較的多い方だと思う。ちなみに、近代文学の教員は2人。)
- 指導スタイル: 毎週ゼミがある。が、基本的に放牧されている。というより、教員の専門と学生の専門が被ることはほとんどないし、両者ともに放っておかれるのが好きな人が多いように思う。もちろん、申請書の提出、論文投稿や学会発表前には赤入れをしてくれますし、推薦書も書いてくれる。面談もよほどのことがなければ快諾してくれる。恵まれていますね。
- ラボ構成: 教員9人、博士課程学生25人程度 博士前期学生25人程度
- 研究室の長所: 教員の数が多い。
古典系が伝統的に強い(旧帝国大学系は古典文学に強いが、近代文学関係は私学が強い歴史がある)ので、典拠研究をしたり、作家の崩し字などで読解に困ると助けてくれる(もちろん、僕も何かあれば手を差し伸べていますが)。
各種専門分野が異なる院生が多いので、単なる日常会話でも「へぇ~知らんかった~」みたいな情報を教えてくれる。 - 研究室の短所: あまり思いつかない。
プライベートとお金関連
- 休日(研究室に行かない日)はどれぐらいある?: 上述のように、良くも悪くも休日という概念があまりない。いつ何をしてもいいが、週に1回のゼミには出る。それ以外は、用がない限りは家にいるか、非常勤先に行くかです。
- 休日は何をしている?: ゴロゴロ、飲み(何もなくても行きますが)
- 主な収入(学振/RA/TA/奨学金/バイト等): 学振かJSTを取らなければ基本的にバイトか奨学金の返済免除を頑張るしかない(企業の奨学金は、ほとんどが「理工系限定」です。期待をもってホームページを開いてこの文字を見たときは、不買運動をしてやろうかと思います。)。あとは、非常勤。
※僕の場合は、D1:学内バイトと非常勤で年収70~90万円、D2:学内バイトと非常勤とJSTで年収240万円程度、D3とD4:非常勤とDC2で年収240~300万円程度の見込み。 - バイトとの両立は可能?: 何を以て「両立」というのかは不明だが、気合で何ともならない場合もある。僕の場合は、D1のときはカツカツでしたが、実家暮らしなのでなんとか生き延びれました。D2でJSTをとれていなかったら、と思うとぞっとします。
| 費用 | 月額(円) |
| 家賃+光熱費 | 0 |
| 食費 | 0 |
| 生活雑費 | 0? |
| 学費 | 54万円 |
| 税金+保険など | 去年までの収入により、今年は殆ど0 |
| 娯楽費 | 不明。携帯代などを含めておそらく2~8万円(←若干飲みすぎています) |
| その他 | 定期代、各種交通費で2万円ほど |
博士進学を決めた理由
- あまり考えていなかった。学部時代から漠然と「研究っておもろいな」と思っていたので、おそらくその延長線上にある。だが、研究を辞める、という選択肢は進学するまではなかったように記憶している。研究をしたいという気持ちを、漠然と、かつ、一定の熱量で持ち続けていたからと思う。
修了後の進路
- 自分の周りの博士学生の進路: アカデミアが多い。行方不明の方もいらっしゃる。
- 博士課程のスキルについてどう思う?: 大学で研究職をやりたい場合、博士課程はもはや必須。民間就職はあまりわからないが、「モノを調べて、考えて、人に伝える」という研究上の手続きはどこでも必須なのではないか。その意味で、理系文系といった枠組みは不要だと思う。
- 博士課程で得た研究以外の力: 諦めない気持ち。ほどよく諦める気持ち。プライドを捨てる勇気。しっかりと感謝する心。
- 修了後の進路(希望): 大学あるいは高専で研究・教職
- 将来への楽しみ: テニュアを獲得するまでは、不安しかありません(してからもあるのかもしれないが、さしあたりは)。
- 将来への不安: 大学の研究・教職のポストは限られており、将来の見通しを立てにくいところ。資金や助成金を獲得しなければ、研究を続けていくことが難しいところ。
これからの博士学生への率直なアドバイス
博士課程進学前に知っておくべきこと
下記に同じ。
覚悟しておくべきこと
そもそも、現在の日本社会では研究、特に人文学への理解は著しく低いです。ともすれば、文系不要論などといった、経済的合理性に基づいた(実際には全く基づいていない妄言だと思いますが)議論すらあるくらいです。そんな逆風が吹き荒れるなか、さらに人文系の博士課程は基本的にオーバードクターを想定しています。そのうえ、卒業後のポストも縮小傾向にあります。まずは、それでも自分は研究を続けたいのか、続けられるのか、続けるのか。家族など近しい人の同意が得られるのか。途中で続けられなくなったときや同意が得られなかったときにどうするのか、ということは考えた方がいいと思います。
また、なんといっても研究生活を大きく左右するのはお金と運です。お金に関しては、人文学系の院生は、学振に通るか、JSTを取るかしなければ、そもそも生活費で苦労します。研究費もないので学会参加や資料調査、資料の購入は自腹です。よほど大学や研究室に資料が充実していない限り、研究は思うように進みません。東京圏以外の院生は、気軽に国会図書館でマイクロを回すこともできません(関西館の立地も……)。高価な薬品や機械を使う研究ではありませんが、自由に使える研究費が1年に50~100万円あるのとないのとでは天と地の差があります。この点、ほとんど全員が外部資金の対象にない博士前期課程と違い、博士後期課程では持つ者と持たざる者で様々な場面で差が否応なく生まれてしまいます。下記のとおり、僕はD1のときにこのことを思い知らされました。
お金の問題は、メンタルにもかかわります。僕は、D1の時には全くお金がありませんでした。カツカツのなかで研究を進めていると、ホンマに死にたくなります。研究を辞めたくなります。1年間、ずっと躁鬱の繰り返しでした。ただ、運よくD2以降はお金の面が楽になり、少しのことでメンタルが動揺することはなくなりました。実家が大地主や大金持ちでない限り、付きまとう問題です。所属したい研究室がコンスタントに学振採用者を出しているのか、大学としてJSTの制度や他の博士課程支援制度があるかも見ておきましょう。
また、運に関しては各種申請書や論文が通るかどうかにかかわります。もちろん、どちらも「通るかな?どうかな?」という水準まで自分の手で磨き上げることは大前提として、そこからは運です。誰が読むのか、同時に審査にかかっている他の書類や論文のクオリティはどの程度か、など。そうした面は(まったく受け入れられないと思っていても)受け入れるしかないです。
最後にものを言うのは、メンタルです。つらつら述べてきましたが、僕はホンマに運に恵まれている方だと思います。指導教官や先輩からアカハラをくらったこともなく、D1から非常勤講師のお話をいただき、D2以降はお給料と研究費をもらえています。ゼミも大所帯なので孤独でもなく、先輩や同期、後輩と飲みに行けますし、色んな情報もまわってきます。加えて大学が近いので実家暮らしです。なので、そのあたりは割り引いて、研究を続けるだけの胆力と財力があるか、一度は自分に聞いてみてください(ちゃんと研究やってれば何とかなるかもしれませんが。知らんけど。)。
最後に一言
僕はここで、「博士課程に進むべき」「進むべきでない」とは言えません。が、ここまで読んでくれたということは、少なくとも「進んでもいいんじゃないかな」と思っているのではないでしょうか。資料に向き合って、考えて、という時間は一方で孤独ですが、他方でそれでしか味わえない面白さもあたえてくれます。先人の知恵を少しでも発展させて、後世に残すというのが研究者の役目だと思います。日本のアカデミアは決して明るくないですが、研究が楽しいなら、進んでも後悔はしないのではないでしょうか。誰に頼まれて研究するわけでもないので、環境が許すのであれば、したいのなら(周りへの感謝を時には思い出して)すればいいと思います。